国際化社会のなかで、多様化する価値観に対応すべく、社会そのもの、人間そのものを対象とする学部も増えています。これらの学部は、将来の社会で活躍すべき人材の輩出にストレートにつながっているので、志願者も増えるでしょう。しかし、その入試のシステムの特徴、問題の傾向などは、未知数なだけに、推測が困難です。「受けたいけれど、対策が練れない」といった状況に陥ってしまうのです。実際、新設大学や新設学部は、そうしたリスクの高さを嫌って、倍率が低くなったりします(その裏をかいて、逆のばあいもありますが)。そのときこそ、まさに、狙い目なのです。データがない、といっても、既存大学の新設学部なら、ほかの学部の過去問題などが参考になります。なぜなら、新設学部とはいえ、他学部の教官たちが、設立メンバーになっているケースが多いからです。それらの教官のプロフィールからも、ある程度の推測は可能です。
塾というのは、単なる受験合格の請負屋に終わってしまってはいけない。生きた人間である子どもを教育するという何らかの行為があって初めて、塾の存在があるような気がする。ちょっと難しい言葉を使えば、「教育理念」を持つか持かないかということになるだろう。そこで教えるものが受験中心の「受験知」であっても、私は一向にかまわないと思う。受験勉強によって学ぶ喜びを感じる子どもがいることは事実である。学び方さえ間違わなければ、競争入試制度の中での「受験知」を頭から否定することはできない。もちろん「学校知」といった、物事の原理やしくみにこだわる授業をする教育理念を持った塾が増えれば、もっと良い。そうすれば、学校と塾とが手をたずさえあって「学びの共同体」を構築するのも夢ではなくなるであろう。
OBたちが競うように資金を出し合って、財政的援助を行っているのも英国の私立学校の特色で、「いい教育は私立でしかできない」との考えが社会的に定着しています。ですから、良家の子女はもちろんのこと、多くが公立学校に見向きもせず、私立学校に殺到するのも、当然といえば当然です。しかしその一方で、資金的に余裕のない家庭の子供たちは、公立学校に通わざるを得ず、結果的に英国の社会的階級制度は緩和の方向どころか、ますます先鋭化するばかりだといった言説を、英国を訪れるたびに聞かされてきました。社会の階級的二分化は英国の国力を削ぐ一番の原因であり、その解消は焦眉の急といわれて久しいと聞きましたが、一向に解消の兆しが見えてこない理由もその辺にあるのか、と推察しています。この事象は、日本にとってもはや対岸の火事ではないはず。荒れすさんだ公立校を嫌い、私学に通わせる傾向が強まっている現実が、何よりの表れではないでしょうか。公教育の立て直しは日本にとっても、焦眉の急であると言い続けているのですが…。